医師は,なぜ今まで時間外手当を要求しなかったのか?

 このホームページで,医師の時間外手当についてたくさん書いてきた.しかし,なぜ,これほどの時間外手当を医師は今まで要求しなかったのであろうか.

 もちろん,散発的にその様な要求はあったが,その都度,うやむやにされてきたのである.
 もし読者諸兄が私のホームページに書かれた時間外手当の内容があまりに奇抜に思えるとしたら,諸兄も,うやむやにされてきた一人なのである.

 この時間外手当というものは,このホームページでたくさん書いてきた(クリック)が,これは私の斬新な意見というわけではない.これは法律なのである.大衆に周知され,病院に勤めている看護婦や事務職員等には,すでに支払われているのである.

 支払わなかったら,職員は労働基準局に気楽に相談に行き,それが,労働基準局にとっては一つの「たれ込み」となり,調査せざるを得ないものなのである.そして,たれ込まれた職場は労働基準局からきつい指導を受けることになる.マスコミにかぎつけられると,新聞沙汰になることさえある.だから,現代の職場というものは時間外に十分気を配っている.医師以外には・・・

 そうなると,やっぱり,疑問として湧くのは,「医師はなぜ今まで時間外手当を要求しなかったのか?」ということである.これが本稿のテーマである.

 これを理解するためには,まず,大学病院の「医局制度」と,病院の医師の序列について知っておく必要がある.

【大学病院の「医局制度」と関連病院】 
 研修医制度が平成16年に始まり大きく様変わりしたが,今まで,ほとんどの医師が大学病院の医局に医学部を卒業した後,10年くらいは所属していた.そこで,臨床研修を積んだり,学位を取るために研究をしたり,また,関連病院と言われる一般病院へ,医局の命令で勤務したりしていた.

 関連病院に出向いている医師は,給料はその病院からもらっているのであるが,その病院に対する忠誠心は低い.なぜならば,あくまでも,その医師はその病院の医師なのではなく,医局に所属する医師なのである.

 病院が何と言おうと,医局の方で転勤命令が出たら,転勤しなければならない.その医師は別にその病院に勤めたくて勤めているのではなく,医局の命令で勤務しているのである.

【病院の医師の序列】
 例えば,一般病院の内科や外科にはたくさんの医師が所属しているが,その序列はどうなっているのだろうか.
 一つの科には,一つの大学の医局の出身者,派遣の医師がいるものと考えて良い.その科の医師の序列は,医局内の序列である.
 例えば,7人の医師がその科にいるとすれば,以下のような配置になる.


氏名 医師になって何年目か

(年目)(年齢)

院内での役 出張医

固定医

近況
A 25年目(52歳) 副院長 固定  長年勤務してきたので,状況が変わらいかぎり,定年まで勤務する予定.院長になる話もちらほらあり.
B 17年目(45歳) 内科部長 固定  実際上,内科はこの人が一手に管理している.この人が内科のキーマンである.開業の計画もあり.
C 10年目(36歳) 内科医長

出張

 医局での研修を終え,専門医もとり,これからの腰の落ち着き先を考えている.今の病院も悪くないと考えている人もいれば,次の職場を教授に相談中という人もいる.
D 7年目(32歳) 軍曹 出張  医局での研究が終了.臨床に復帰.近々,海外留学の話がある人も多い.
E 4年目(29歳) 伍長 出張  ある程度,臨床実務は分かった.半熟な,二等兵,一等兵に実務を直接ビシバシ教えるのが役目.

 また,下の人間を上手に働かせると,時間的余裕もできる.来年は医局に戻り研究に入る予定.D医師に研究のことをいろいろ聞いて情報を得ている.

F 3年目(27歳) 一等兵 出張  医師になって3年目.病院内でも医師として少し扱われるようになる.二等兵に基本技術を直接Eといっしょに教える係.Gの兄貴分である.
G 2年目(25歳) 二等兵 出張  大学で1年間研修して,初めての病院勤務で,それだけで何かうれしい.仕事はほとんどできない.

注)D, E, F, Gに関しては,病院内の適当な位がなかったので,軍隊の位をここでは用いた.各自イメージされたい.
 
 固定医に対して,医局が人事異動を行うことは一般的にはないが,出張医の人事は医局が握っている.
 逆に言うと,医局の方で7人の医師をバランス良く配置させることが可能なわけである.

【時間外手当不支給に対する不満はどのように吸収されてきたか】
 この中で,救急だ,時間外だ,という患者に対して,主に対応するのは,D, E, F, Gの医師である.手に負えないときに,ベテランのC, Dにご出馬を願うことになる.そして,どのように対処するのかを見て,学んでいく.このように医師というのは臨床の技術を磨いていった.

 ここで,「時間外手当」に関することについて,D, E, F, Gが不満を持ったとすると,それは,上司である,A, B, Cに申し出ることになる.しかし,大方のケースではこの時点でうやむやになる.

 なにしろ,自分たちで対処できない難しいケースについて,教えてもらっているので,あまり面と向かってけんか腰に言うこともできない.また,第一,上司が時間外を認めないようにしているわけではないのである.時間外を認めようとしないのは病院側である.だから,上司はケンカする相手ではない.

 あまりにボロボロ言って,医局内でも自分の評判が下がるのもいやだ.また,1年いたらどうせ移動し,それぞれが翌年には,より上級のことをやっていくという楽しみも将来設計の路線も見えている.また,A, B, Cが自分の将来像である.あと数年もすれば,救急や当直など面倒なことは下にやってもらえるようになる.悪くはない.

 ここまですぐに分かることである.そうなると,D, E, F, Gの出す結論はもう見えているであろう.

 「仕事はきついけど,いろいろ臨床経験を積めて勉強になる.きついのも1年だし,いずれ,上司のようになれば,良いのだから.時間外手当は不満だけど,そんなことでゴチャゴチャ噛みついて,自分の評判を落とすより,今は仕事を覚えることに専念するべきではないだろうか」

【研修医制度以後 これからの勤務医の序列に変化が・・】
 これが平成16年以降の臨床研修医導入後,大きく変わった.
 まず,卒後1,2年目の医師は「研修医」ということになり,上級医の見ている所でないと,実際に患者に触ることができなくなった.もちろん処置もできないし,当直もできない.病院にとっては完全なお客さんである(注).

  つまり,具体的には上のGの医師がいなくなることを意味する.

 また,医局に入る医師は研修医制度が激減した.今までのように医師を派遣できなくなった.D, E, Fの医師の内,1人,ないし,2人が抜けることになる.
 そうなると,今まで,救急外来や,当直などに直接タッチしていなかった,上級医である.B, Cもそのような仕事をせざるを得なくなる.
 これは自分の職務環境の悪化を意味する.今までは下の医師から応援を頼まれたときのみ,病院に駆けつけていれば良かったし,この時には時間外手当については考えてもいなかった.しかし,今度は実際に,救急外来に貼り付けになる.たくさん働いても,大方のケースで今までのやり方を踏んでいるので,実際に時間外手当は支払われていない.
 上級医は当然,疲弊するし,勤務状態に対する不満も大きくなる.

 自分の職務環境の悪化には人は絶対に耐えられないものである.そうすると,開業したり,もっと楽な病院への転勤を考えるようになる.そうして,1人,二人と上級医が抜けていく.中でも臨床の力も十分あり,かねてから開業も考えていた,優秀で年齢的にもバリバリなB医師あたりはすぐに開業してしまうかも知れない.

 結局そうするとどうなる.

 この内科の陣容は
  A, C, D, Eの4人で運営することになる.これが限界である.この状態が今現在(平成18年9月)の状態である.来年(平成19年)は,ますます,医局に所属する医師も少なくなるし,A, Cの上級医も先がないのを見越して辞めていくかも知れない.
 これ以上減った状態になると,もう機能しない.
 医局の方でも,今や関連病院を統合して,医師を集約することに大忙しである.

 病院としては,医師数に見合った,無理のない勤務内容にするために調節しなければならないだろう.

       (例)救急外来の停止,縮小.外来のコマ数を削る など.


 また,医師求人誌や民間の求人機関に頼って,医師を集めていくことになる.これからは医局から派遣される医師よりも,このような一般公募した医師が勤務医の主流になっていくことは間違いがない.

 彼らには医局という,良い意味でも悪い意味でも「押さえ」もないし「夢」「将来像」もないので,彼らは時間外手当に関しては厳しく要求してくるだろうし,彼らの方に正当性があるのであるからどうしようもない.今後は時間外手当を正当に払っていくことが当たり前となろう.

 私は,これまでで「医師はなぜ今まで時間外手当を要求しなかったのか?」について述べた.

 また,そこから導かれる今後の病院側の対応として.


○病院業務の再考
   医師数に見合った業務形態にする.
    ・救急外来をどうするか
    ・外来のコマ数をどうするか.
○時間外手当の再検討
    ・医師の時間外手当をどう管理しどう払っていくか

  
 これをホントに平成18年中に適切にやらないと来年は大変なことになる.来年は医局にはますます医師が入らなくなり,医局の関連病院はますます減少するだろう.

 医師が来なくなり,将来を悲観した医師が大量に辞職し病院自体の機能を喪失することもあり得る.これには,平成18年9月現在ですでにたくさんの事例があり,もう極論ではないというのはお分かりだろう.

この救急車は腎破裂外傷の10歳代を搬送してきたが,今後,救急外来は縮小していかざるを得ないものと考えられる.

注)ある友人の勤務医の談.「研修医なんて,クソにもならん.居るだけ邪魔や.何にもで出来へんのや.やらしたらアカンのや.始めはな,オレもな.来てもらって何やらうれしかったけどな・・・そやけど,何にもならんやろ.おるだけ,ホント 邪魔なモンやで」

 彼は北陸地方の勤務医をしているが,前まで7名ほどいた内科医が今や2人.ホント余裕がない.

 ここの病院もはっきり言ってクライシスが近そうである.

目次  設立の目的  最近の医療情勢に対する解析(記事一覧)  会社紹介  A企画へのアクセス  掲示板

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

11

2

3

4

5

6

7

8

9

0

1

inserted by FC2 system