研修医は何を見て,何を望んでいるのか?

・・・私が兵庫県の海外研修をご褒美にするような対策を笑う理由

【研修医を県職員で採用、海外研修付き 医師確保に兵庫県】
 かねてから,臨床研修医制度が始まってから東京や大阪など大都会に医師が集中し,地方から消えていったとの意見が多い.
 それに対して,厚生労働省,政府は,「地方の病院や大学は,魅力ある研修制度を工夫すべき.研修終了後に海外留学などの特典を付けたら良いのではないか」などと言っていた.
 ついにそれを実行する自治体が出てきた.兵庫県である.下に記事.


研修医を県職員で採用、海外研修付き 医師確保に兵庫県

                              2006年08月31日
  

 全国的に医師不足が深刻化するなか、兵庫県は来年度から、専門分野の資格を得るため研修中の「研修医」を県職員として採用する制度を導入する。

 期間は4年で、2、3年目に医師不足が深刻な市町立病院で勤務してもらい、最終の4年目には「ご褒美」として、海外の医療機関で研修を受けることができる。採用は毎年25人の予定。同県は「若いうちから兵庫県内で働いてもらい、医師不足を解消したい」としている。

 大学卒業後2年間の臨床研修を終了し、医師免許取得後3〜5年目の医師が対象。小児科、産科、麻酔科、総合診療医、救急医の5コースで、各コース5人ずつ採用する。 (Asahi. com)

 私に言わせれば笑止千万である.

【研修医が何を見て何を考えているか考えよ】

 まず第一に研修医は何を見て何を望んでいるのだろうか.それを考えなければならない.兵庫県の言うように,海外旅行をさせてあげる,と言われればだれでも喜ぶに違いない.しかし,それは宝くじに当たってうれしい,と同じ程度の話で,それにより,たくさんの研修志望者が集まるわけでも,研修にドライブがかかるわけではないだろう.万一,このようなことで動機付けされて集まる研修医がいるとすれば,彼らは意識が低いというか,医学の技術の修練というものの何たるかが分かっていないのである.

 なぜ,そこまで言い切れるのか,それをここで語りたい.

 まず,今,研修医は何を見ているのか,考えてみよう.
 今や,研修医は大学よりも大きな中核病院で研修をしている者が多い.
 彼らは何を見て,何を考えているのか.以下に列挙する.


慢性的な人手不足,ならびに,救急や当直でへとへとに疲れ切っている内科医である.

小児科医も同様である.へとへとに疲れたあげくに,深夜の救急外来に,症状的には大したことがないのに,「夜の方がすぐ待たないですぐ診てくれるから」とか,「明日も仕事があるから」と自分の都合だけで救急外来に子供を連れてきて,そのくせに,くだらないことにこだわって,ああでもない,こうでもない,と言ったあげくに,文句ばかりを言う,馬鹿な母親につきあわされる,小児科医を研修医は見るのである.

産婦人科・・・平成17年度の大学の産婦人科の医局に入局した全国の総医師数は,100人前後である.そのうち,東大,慶応,昭和大に40人入局したという.産婦人科医は関東の大都市では見られるが,東京以外の地方ではあまり見られない,絶滅の危険性すらある,天然記念物なみに稀少種になりつつある.

 したがって,地方病院のこの科には今や大変な人数の患者が集まっている.そして,勤務する医師の数は5人が4人になり,4人が3人になり・・・という様に減りつつある. 産婦人科を研修している研修医が見るものは,文字通りの殺人的な激務である.また,訴訟がらみも多いことを目の当たりにするのである.

胸部外科や脳外科は非常に微妙である.これらの科は医師の技術によって直接的に治療成績が左右される.高い技術のある医師が勤務している病院にはたくさんの患者が集まる反面,評判を取れないと,あまり患者が集まらない.
 評判の取れない胸部外科医や脳外科医は暇である.しかし,忙しい医師は忙しい.忙しい脳外科,胸部外科医は相当に腕のたつ人である.

 さて,研修医はここに何を見るか.腕のたつ外科医をみて感服し,その道を志す人もいるだろう.一方で,残念ながら外科志望者という者は現場を見れば見るほど減少するものかも知れない.

 と言うのは,医学部に入学した当時は,「ブラックジャックのようになりたい」とか,「上手な外科医になりたい」とか言う,外科医志望者は実に多いのである.

 しかし,医学部の6年目にポリクリ(臨床実習)をして,外科の現場を見ると,外科医志望者は減少する.手術を見ても何が何だか分からないし,手術は思っていたほどあまり面白いものではないな,と思うようである(私もそうだった).
 脳外科の志望者は研修医制度がスタートする前に比べて7割減ったという.このような理由もひとつあると思う.

救急で疲れ切っている医師に対して,皮膚科や形成外科など,一般論であるが,救急患者があまり来ない科もある.救急外来で青息吐息になっている医師もいる反面,このような科もいくつかあるのである.研修医にしてみれば,救急で大変な科が嫌いなわけではないのであるが,背に腹は変えられない.命あっての物種である.彼らは,救急の忙しい科に敬意を払いつつ,自分の専攻とする科を決めるのである.結局,研修医制度後に皮膚科と形成外科の希望者は激増した.


  結局の所,これらが研修医の見たものである.そして,これこそが自分たちの将来そのものと考えてしまう.
 そうなると,国が言うように,あるいは,兵庫県でやるように,研修後の海外旅行のご褒美を付けたって,明日の自分の将来がおぞましいものであれば,このようなご褒美に釣られるものはまず居ないだろう.

 私はそのようなご褒美を考えるより,もっと,良いものを見せてやれば良いではないか,と思うのである.良いものとは,自信と誇りを持って診療に当たる先輩医師の姿である.

 これがもっとも研修医にその道を決断させるものに他ならない.ここで改めて言うまでもないし,このような基本的なことを,私が言わなければならないくらい,今の医師養成制度が研修医制度によって歪められてしまっていることが私は無性に悲しい.

【昔話・・・かつての医師養成制度】
 私のような,研修医制度以前の者は,どうだったか.
 昔話をしよう.


 とにかく,大学を卒業したら,専攻科を決めなければならない.

 6年目の時にポリクリ(臨床実習)であちらこちらの科を回り,色々な情報を仕入れるが,情報は少ないし,これだけの情報で自分が一生をかける専攻科を決めるのはどうなのかな,とも思ったが,仕方がない.最後は,えいっ,やあっ,と勢いで決めるしかない.

 そして,今の科に決め,大学病院の新入医局員・・・ノイ・ヘーレン(ドイツ語で「新兵」の意味.「ノンヘ」と略されて呼ばれていた)となる.大学病院でノイ・ヘーレンは看護婦以下と言われ,大学病院の下働きをしながら,点滴の仕方やガーゼ交換の仕方などをはじめとして,少しずつ技術を学んだ.

 カンファレンスや教授回診の都度に準備にバタバタし,カンファレンスなどでは,罵倒されたり,笑われたりして,辛かった.あまりに辛いので何度も辞めようと思ったが,医局を辞めるのは離婚でもするのと同じくらい大変である.そう考えると辞めるに辞められない.

 当直やら雑用でボロボロになり1年が終わった.

 すると,地方の関連病院へ1年出張するわけである.ここで1年ほどやると,少しずつ今までまったく分からなかった醫學というものが見えているのである.

 3年目になると,どうやら,病院でやっと1人前に扱ってもらえているような思えてくる.

 このあと,研究したり,あるいは更に地方の病院や大学で臨床医学の研鑽に励んだりする.

 8年目くらいになると,大部格好が付き,自分の場合は,まだ分不相応でないかと思ったが,ある地方病院の科長を任された.専門医を取るのもこのころである.

 このあと,再び,ベテランの先生の下で勉強したり,あるいは,その道では一流と言われている病院へ国内留学,海外留学をしたりして,技を磨いてゆく.


 そのようにして,一人前になって行くのである.大学の医局制度は「財前先生が横暴過ぎる」などいろいろな批判をマスコミから受けたが,医局員の性格と技量を考え,病院に出張させ,地域の医師派遣要請に応えつつ医師を育てていくという点で,これに勝るものはないと思う.

 私みたいな,いつも辞めたい,と思っていた人間でも,何とか一人前にさせてくれる.私だけでなく,先輩や後輩で「この人ちょっとどうなのかな」と思っていた人でも,何年かすると,非常に大きく立派なベテラン医師になっていくのを目撃した.


 私も,最後は地方の中核病院で思い切り働いた.救急で休日や夜に起こされることもたびたびだったが,2年くらいなら,「自分をこんなに頼りにしてくれるのか」と思い,嬉しいのである.自分のもまだ30代で若かったし,いくらでも働けた.とにかく,このように大変であるが,それが自分の技術の向上に繋がることが実感でき,本当に喜びに思える時期もあるのである.しかし,このような喜びもずっとは続かない.数年もやると,パターンが見えすぎるくらい見えてくるし,あと,たくさん,夜も昼も働くのが嫌になってくる.

 私の場合は,この時点で,この中核病院を辞し,札幌で医業を営んでいる.

 まあ,おひな様の飾り棚を下から上に位が上がっていくように,最初は下働き,そして,だんだん年とともに位が上がり,最後は科長を任される.そのように医局が調整してくれたのである.それが大学の医局制度である.

【それに対して今の臨床研修医制度は・・・】 

 それに対して,今の臨床医制度は何であろう.

 1, 2年目は完全なお客さん.当直すらも出来ないくせに,人手不足に悩む病院は,彼らを王子様のごとく大事にする.3年目からも引き続き,後期研修を自分のところでやって欲しいからである.あるいは,良い印象を与えておいて,いつか自分の所に勤務して欲しいからである.

 3年目から始まる後期研修でも病院を選んだ者は,病院によっては,そのままずっと勤めていて欲しいので,更に王子様扱いにし,揉み手擦り手で対応される.兵庫県の海外研修のご褒美などはその一例である.

 甘やかされて育った子供にろくな人間がいないのと同様に,このような感じで甘やかされて育った医者はろくな者にならない.

 研修医制度が始まる前でも,このような甘い道を行く者もいたが,大多数は医局に入り,私が述べたように辛い時代を経ているものだ.結局,20年経ち,私と同年代で甘い道を行った者はろくな者になっていない.


 さて,今の研修医制度で,後期研修が終了した後の,6年目以降は自分で進路を決めなくてはいけない.自分できちんとした医師になれる道を探り当てられるのか.聖書の「狭き門より入れ」ではないが,一人前の医師になるための道は細くていばらがたくさんある厳しい道なのである.

 広き道は滅びに至る道である.「給料が沢山もらえるから」とか「大事にしてくれそうだから」とか,果ては専門もろくに決めないで「楽しそうだから」などと言って道を選ぶと,何にもならない医師になる.

 いや,そう言うな.いつでも学ぶ気になれば,正しい医学を学べるだろう,と言う人がいる.しかし,不思議なもので,医師になって10年も経ってしまったら,新しいことが学べなくなってしまっている.これは頭が固くなってしまったのではなく,まわりに本気で怒って指導してくれる人がいなくなってしまうからである.これは私の経験でもあるし,かつ,同じようなことを言う人は回りに何人もいるのできっと正しいことだろう.

 医師であれば,点滴セットと抗生物質を持って,仮に100年前の世界にでも行くことが出来るなら,だれだって,名医になれる.
 しかし,当たり前だが現在の医療水準で話をしなければならない.現在の医療水準というものが厳然として存在しているし,その水準は医師一人一人の必死の努力で作られたものなのである.
 甘やかされた者がたどり着けるものではない.
 結局,その様な者は箸にも棒にもかからない医者になってしまう.

 それはその人個人の不幸であると供に,国民の不幸である.なぜなら,一人の医師を養成するのに5000万から6000万のお金がかかるという.それだけのお金と時間と手間をかけて養成した医師が現在の医療水準に達しておらず,使い物にならないというのは万民の不幸であろう.

 しかし,このようなケースは研修医制度が続く限り,増え続けるだろう.

 さて,兵庫県の海外研修をご褒美にするということが,笑止千万であるという理由を述べた.

 【対策】

 では,どうすれば良いか.

 研修医制度の即時停止がもっとも良いと思うが,それは政府が考えること.それについて,大声で罵倒するのも良いが,このホームページでは,今すぐにでも出来ることを提案すると言うことを特徴にしたいと考えている.

 くだらないご褒美なんぞ出すよりも・・・・

 まず,病院のベテラン医師が,誇りと自信を持って働くことが出来るようにする.救急外来でふらふらにさせ,ろくに時間外手当も与えないと言うのでは,後輩の研修医がその病院やその科に行こうとするわけがない.

 だから,医師数が減っている病院は,減っているなりの勤務態勢を取るしかない.例えば,救急外来の縮小,停止.あるいは,そのようなことが出来ないのであれば,日常業務の縮小,例えば,外来のコマ数を削るとか,救急当直をした後は1日休みにして,休養をキチンと取らせるなどの手当をしなくてはならない.
 これは病院が決断すればすぐにでも出来ることである.

 行政など他人をあてにするのではなく,今,自分の権限ですぐに出来ることをやっていこう.
 もう大方の病院で医師のマンパワーはすでに限界に来ているのだから,医師の大量辞職とまでいかなくても,一人の医師がひっそりと辞めるだけで,病院事態がにっちもさっちもいかなくなると言うのが,今の現状ですね.

 「まず,隗より始めよ」ではないが,研修医に海外研修の褒美を与えるよりも,5年なり10年なり勤続してくれた勤務医に1ヶ月なり3ヶ月なり半年の長期の自由研修期間を与えるのも,一つの良い方策だと思う.「まず,自分の所に勤務している医師から始めよ」である.

 
まとめ
 兵庫県の研修医にご褒美としての海外研修など本質的な意味がない.
 それよりも,現在,病院にいる,医師を大事にすることが,研修医獲得に関しても,もっとも正当な方法である.
 今,地方の基幹病院にとって,医師不足の解決は緊急課題であるが,それを解決するウルトラCの様な方法はない.正攻法を積み上げていくしかない.


 A企画は,今までも,そして,これからも正攻法を提案していくつもりである.


注)まず隗より始めよ:
 1.「賢者を招きたいならば、まず自分のようなつまらない者をも優遇せよ、そうすればよりすぐれた人材が次々と集まってくるであろう」という意味。
 2.転じて、遠大な計画も、まず手近なところから着手せよということ。また、物事はまず言い出した者からやり始めるべきだという意味でも使う。

由来
 戦国時代,燕の国の昭王は人材を集めて国を強くしようとした.その方策を家臣に尋ねたところ,家臣の一人の郭隗が「まず私を優遇してください。さすれば郭隗程度でもあのようにしてくれるのだから、もっと優れた人物はもっと優遇してくれるに違いないと思って人材が集まってきます。」と答え、昭王はこれを入れて郭隗を師と仰ぎ、特別に宮殿を造って郭隗に与えた。
 そうすると,天下の賢人が,「郭隗のような者でもあんなに優遇してくれるのなら,私も」と言う事になり,多くの賢人が燕の国に集まったという.

注)狭き門より入れ

   新約聖書のマタイ福音書第7章第13節より・・・狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その路は広く、之より入る者多し。生命にいたる門は狭く、その路は細く、之を見出すもの少し。

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