数字で見る・・・研修医制度が始まってから,道内から医師がどのくらい消えたか?

【従来の医師の研修とこの新しい研修医制度とのちがいは?】

  一般の人で勘違いをしている人が多いと思うが,平成16年に研修医制度が始まる前でも,医学部を卒業した1年目の医師はどこに勤めても良かった.卒業した大学の医局に入らなければならないという決まりなど,どこにもなかった.

 ただ,大学に入局する人が多かったことは確かだ.なんだかんだと言っても,大学には優秀な先輩医師が多いので,バランスの取れた研修が可能だし,医局には様々な情報が集まるし,何よりも医局に所属することにより,自分が将来活動する医療圏に仲間を多く作ることができる.

 医局員時代,あるいは,開業などして医局を退局しても,同じ医局に属していた者同志,世代や時代を超えて,「同じ釜の飯を食った」仲間として,独特の仲間意識,人間関係を形成することができる. 

 現在,自分は札幌市内で医業を営んでいるが,医局の仲間の支えというのは自分にとって大きいものであるし,このようなネットワークがなければ,今の自分はなかったであろうし,それ以前に,医師として潰れてしまっていたかも知れない.そのように思っている.

 個人的な話であるが私が卒業した20年前,私は東京の病院でレジデントとして研修をしたいと思った.なぜか.ただ東京という所で暮らしてみたかったのである.そこで,聖ルカ国際病院や関東逓信病院などを受けた.

 東京で研修するのは本人の勝手であるし,2年後に出身大学の医局に入りたいと言ったら,入局は許可されるものである.出身大学でなくても許可されるだろう.

 しかし,卒業と同時に同級生は医局に入って仕事をしているので,自分は,医師としては3年目であるが,医局員としては1年目という,ちょっとビハインドを背負ってしまうというのが問題点であった.

 今の研修医制度では,この入局時期が3年目からになったので,東京やらどこやらで初期研修を終えた後,母校の自分の専門とする医局に入局しても何らビハインドを負うことはない.

 ビハインドを負うか負わないか,これが今の研修医制度と昔の大きな違いである.

 結局,私の場合は,東京へ行くべきか,行かないべきか,北海道から離れるべきか,居るべきか,ビハインドを背負うべきか,どうするかで,迷いに迷ったあげくに,母校の医局に入ったわけだが,現在の卒業生は「ビハインド」を背負う必要がないので,もっと気楽に母校を離れて旅に出られるだろう.

【研修病院を選択する医学生の胸の内は?】

 2年間の初期研修をどこでやるか,と言うことで,研修医を迎え入れる病院はともかく,医学生の胸の内には,20年前の私ではないが,様々な思いが交錯しているというのは想像に難くない. 

 関東,関西の有名な病院,あるいは,東大,京大など,いわゆる超一流どころで2年間研修するのも決して悪くない.北海道で育ったので,東京や大阪,九州,四国,沖縄で2年位暮らすのも面白いぞ,という考えもある. オーソドックスに出身大学で研修しても良いのだし,北海道の地方都市の病院で研修するのも良い.

 北海道の地方都市の病院の中にはびっくりするほどの高給を研修医に出す所もある.このような経済的なものを重視する者もいる.

 また,内地の出身者で,北海道の大学を卒業したが,卒後は故郷に帰るという者もいる.というか,このようなパターンは非常に多い.私の同級生の卒業後の進路を見ると,内地の出身者はほとんどの者が卒業後,故郷に帰って行った.

 とにかく,いろいろな思いが交錯しているということである.医学生本人にしてみれば,すごく楽しいことであるだろうなと思う.まさに,青雲の志である.

【北海道内における研修医の動向・・・平成19年度】

 右の表は,道内の主な病院の,来年度(平成19年度)の研修医数である.

 定員とは,文字どおり,その病院が必要とした研修医の数.マッチとは,実際にそこで研修をすることになった研修医の数.6年目の医学生は卒業時の研修先を第3希望まで書きインターネットで中央に送る.そして,中央で研修病院に当てはめていくのである.たとえば,定員が50のところに80人の応募があったとすると,30人は第2希望に回るのである.

 とにかく,来年卒業する医学生は2年間,このマッチングによって決められた病院にて研修するわけである.

注目して欲しい所に,印を付けた.

赤・・・・大学病院

黄・・・・カレスグループ

ピンク・・手稲渓仁会グループ

青・・・・徳州会グループ

茶・・・・勤医協グループ

緑・・・・厚生連グループ

研修医制度が始まる前から,自前で医師を集める取り組みを行っていた,徳州会グループ,勤医協グループ,カレスグループ,手稲渓仁会グループは,研修医の獲得でも培ったノウハウを生かして実績を上げている.

 厚生連(JA)グループの健闘が光る.

出典:厚生労働省 医師臨床研修マッチングの結果について Part1  Part2

【研修医を集めることができた,あるいは,できなかった,ということはどういう意味があるのか?】

 この業界でよく言われることであるが,医師というのは「すり込み」がものすごく大事なのである.最初の初期研修の2年間はただの2年間ではなく,その医師に大きな影響を与える.また,医師になって最初に行く病院には非常に愛着が湧くものである.

 私の医局の先輩の中に,すぐに医局に入らないで,たとえば,徳州会病院で2年研修をして,医局に入局したドクターもいたが,回り回って,徳州会病院に固定した.私たち,直接入局組には分からない,何らかの愛着があったのだろうと思っている.

 2年間初期研修をするとその病院に愛着を持つので,たとえ,その後,大学の医局に入ったり,あるいは別な病院に行ったとしても,何年か後に,一回りも二回りも大きくなって,自分たちの病院に帰ってきてくれる可能性が期待できる.このような現象を「カム バック サーモン(鮭よ,帰ってこい)」現象と呼んでいる人もいる.北海道の地方の病院で初期研修医にびっくりするほどの高給を払い,たくさんの研修医を集めようとしている病院がある.これらの病院は「カム バック サーモン」現象を期待しているのである.

 お金の話は別にしても,2年間の初期研修を終えた後,3年間の後期研修をすることになるが,この時点でいわゆる,大学で後期研修をする者は従来の,「大学の医局に入局する」という形になる.

 3年間の後期研修を,一般病院でやる者は3年後もその病院にきっとかなりの確率で勤めることになるだろう.もっとも,東京の一流どころの病院では,職員になることは極めて難しいが,北海道の病院であれば歓迎されること間違いなしである.

 つまり,初期研修を医師を集められたところは,後期研修でもそれ相応に医師を集めることができ,人的なものを充実させていくことができる反面,集められなかったところは,引き続き,大学の医局に医師派遣を頼んだり,高いお金を出して,医師紹介業者に医師探しを頼まなければならなくなる.

【大学病院について・・・旭川医大の落ち込みが激しい.北大,札医も一頃と比べて入局者は急減】

さて,そのキーともなる研修医を道内の3大学はどのくらい集められたのであろうか.

北大 69人
札幌医大 48人
旭川医大 16人

 今までも,そして,これからも,これらの大学は,医師を育て,そして,育てた医師を北海道各地の中核病院に送り込むという役割を担わされるだろう.というよりも,これら大学が中心となって,その様な役割を担わざるを得ない.

 確かに,上表で印を付けた病院グループはそれなりに研修医を集め,自前で養成していくであろうが,いかんせん,中核病院に医師を送り込むという役割を担うには数が少なすぎるし,彼らは彼らで,自分たちの組織の中で,育成した医師を回していこうとするだろう.

 それにしても,旭川の16人はひどい.旭川医大は,例年卒業生の半分くらいが,母校の医局に入局していた.また,本州の医学校を卒業した人で旭川医大の医局に入局する人もいるので,例年,60-70人の入局者があった.

 北大,札医大も研修医制度が行われる前は,100人かそれ以上の医局員を採っていたのである.

 数字でみると,今年の研修医合計が133人.従来の新入医局員数が,大雑把に270人とすると,従来に比べて,道内3大学の新入医局員は48.1%になってしまった.

 そのことがどのような影響を及ぼしているのだろうか.もう,明らかだが,下に新聞記事を示す.

常勤医派遣100人減 札医大昨年度  2006/07/26 北海道新聞

 札幌医大は25日、医師派遣対策委員会(委員長・今井浩三学長)を開き、2005年度の道内自治体病院などへの常勤医の派遣人数は363人と、2004年度の464人から100人以上も急減したことを報告した。

 同大は「新しい臨床研修制度が導入されたことで、研修医が民間病院に流れてしまい、派遣医の確保が難しくなっている」としている。

 人繰りがつかないなどの理由で派遣を断った件数は常勤医、非常勤医で計175件。

【全国的な傾向はどうか.研修医はどこへ行ってしまったのか?】

 図1に研修医をあまり採れなかった大学を示す.惨憺たる数字が並んでいる.

 これらの全部の大学に関して,私は把握していないが,旭川医大,弘前大学に関して言えば,1年に100-120人の学生を卒業させ,約半分が母校の医局に入局していたはずである.そして,その他に,他府県から地元に戻る者もいて,研修医制度の前は,少なくても70人の入局者があった.

 三重大の研修医数「3人」というのも,恐ろしい数字である.大学病院というのは地域では,とにかく頼られる存在である.

 産婦人科医を招聘するのに5520万の年棒を提示し,望みかなって,産婦人科医を招聘したが,1年で辞められてしまった,尾鷲市立病院(関連記事)も,市議会で「重ね重ね三重大に頼もう」という意見が何度も出ていた.ところが,その頼みとする三重大も,実はもう青息吐息なのだ.

 一言付け加えると,これらの大学に何か問題があるわけでは断じてない.大学受験の予備校等の資料を見ると,どこの大学も超難関である.

 これらの医科大学は,超難関を突破した優秀な生徒を集め,しっかりと教育し,卒業させ,医師免許を取らせている.そこまでは今までと何も変わっていない.

 また,これらの大学は他大学と臨床・研究のレベルでは全く劣らない医師を輩出してきていた.ここまでも何も変わっていない.

 ただ,研修医制度という,今まで馴染みのない制度が始まるやいなや,研修医が破滅的に激減してしまった代表格が,データ上,この5校なわけである.

 研修医はどこに行ってしまったのか? これは図2,図3をみるともう明らかだろう.

 旭川,三重,福島,秋田,弘前などの中堅都市を離れ,大都会に出て行ったのである.

 図1 研修医をあまり採用できなかった大学


 図2 多くの研修医を採用できた大学

注)名古屋大学は,昔から卒業後の2年は外の病院に出てもらい,大学病院では働かせなかった.だから,研修医制度が始まっても研修医を採る気などさらさらなかったのであるが,今回,厚生労働省とのつきあいで,35人という枠を用意した.もちろん,充足率は100%.


 図3.多くの研修医を採用できた病院

 

【初期研修の終わる2年後どうなるのか】

 今,最も関心事は,北海道の大学の医局にどのくらい戻ってくるか,ということである.卒業生の中には,自分の入局したい母校の医局と入局を約束して,初期研修の旅に出るものも居るという.しかし,2年もの間,東京なりどこなりに住むとその土地の人間になってしまうものである.北海道を離れてしまう人も多いだろうし,研修した病院に「土着」し,引き続き勤務する人も多くでるだろう.

 そのように考えると,実際には,初期研修を行った人数の多くて1割り増し位ではないかと思われる.

 また,研修医を終えた若い医師は,命を直接扱う科,救急で忙しい科を避ける傾向があるので,従来,10人以上の入局者がいた内科系の医局の入局者は3割ほどになっている(浜西教授 談 Click ).産婦人科,小児科はマスコミの報道の通り,入局者がほとんど居ないのが現状である.

 

【結論】

○道内の大学の医局の入局者は大体半分弱となり,また,人命を直接扱ったり,救急で忙しい科は敬遠されているので,その様な科の入局者数は研修医制度が始まる前の1/3ほどになっている.

 ○研修医の動向を見てみると,明かな大都会指向が認められる.人口の少ない県の人口の少ない都市,具体的には50万人以下,にある,医科大学は研修医を採用するのがひどく困難になっている.

 それに対して,関東,関西などの大都会にある医科大学,病院は,採用実績を軒並み上げている.

 つまり,研修医の研修病院選択は,今までの臨床や学問的実績,地域社会への貢献度なんかより,研修病院のロケーションにより左右されたのである.

 ○研修医を集められなかった,北海道,東北,福島県,三重県などの地域の基幹病院は今後,大学の医局から医師の派遣を受けられず,大変な医師不足に陥ることはもう間違いがない.

 さて,このような破滅的状況を数字で具体的に示したわけですが,このことに対しての策をいくつか用意しました.それは,またページを換えて論じていくことにします.

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